みどり先生は倒れてからもずっと私を認識していたが、私との過去について
は全く記憶していないという。私の方はそれ以降、必要以上に彼女とのこと
を思い出すようになった。彼女と知り合った頃、私はグリーン車、スーパーシー
ト、タクシーで移動し、シティホテルに泊まるのに対して、彼女は普通席や電
車で移動してビジネスホテルに宿泊していた。ファミレスで食事しなから飲ん
で、唯一の贅沢は社台のクラブ馬主だった。帝京大学のICUに勤めながら、
残った時間を美容整形の麻酔とか、めがね屋さんの医師とかいうようなアル
バイトに使っていた。家を出て最初に住んだアパートも1DKの質素なものだっ
たが、ようやく自分の住みかを得たことでとても喜んでいた。それからずっと
私は彼女を貧しい医師として扱い、食事や宿泊費、交通費などはほとんど私
が支払っていた。彼女が自分のクリニックを開いてからも同様で、経営は大
変なのだろうと思っていた。
彼女が倒れて彼女の資産整理をしてわかったことは、クリニックがかなりの
収益をあげていて、決して貧しい医師でなかったことだった。収益はクリニック
開設のときの借金返済に充当し、すでに私が連帯保証人となっていた借金は
完済し、残されていた借金は保障協会によるものだけだった。しかも彼女は私
を受取人として高額の生命保険をかけていた。それは私が受け取ることはでき
なかったが、高度障害による本人受け取りとして彼女の今後の生活の支えと
なった。それを彼女のこれからの幸せのために有効に使っていくのが私の職務
となり、彼女は最も優れた経済活動を行ってきたといえるだろう。私の方も夕方
からの介護のために飲食費や旅費をほとんど使わなくなって、毎月の支出が大
幅に減少したため、それまでほとんど預金をしていなかったのに、たちまちそこそ
この預金が残るようになった。それらを使って彼女を喜ばせられることに限界が
あるのが何よりも残念だ。
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