以前は電車で寝ようと思っても眠れなかったのだが、今は毎日眠っている。
みどり先生はいつも眠っていて、最長の寝過ごしは立川だったという。夜遅く
なので折り返しの電車がなくてタクシー代が大変だったといっていた。やはり
疲れれば眠るということなのだろう。ただ、私の場合は駅ごとに眼が覚めてし
まう。乗り過ごしがなくて良いともいえるのだが、眠りは浅いということだもある。
特別快速ならよいのだけれど、武蔵小金井から東小金井までの間に長い長い
夢をみて、東小金井で眼が覚めた時にはもしかすると1往復してきたのでは
ないかと思ってしまう。しかも東小金井から武蔵境の間でも人物や場所な
どの設定がはっきりしていて、数年間もの物語となるような夢を見る。今度も
武蔵境で目が覚めると、数年前から同じ電車に乗り続けていたのではないかと
思ってしまう。そうも続かないと思っていると、三鷹までの間にも別の設定の
夢を見る。さすがに怖くなって吉祥寺まではずっと起きていた。記憶能力を
失っても他の脳の働きは健全というみどり先生の意識はこれに近いものな
のかもしれない。三鷹駅に着いたときには武蔵小金井から東小金井での
夢は全く思い出せない。眠りには基本的に海馬が働かないように思う。
そのときの悩みや強迫観念が反映されることはうってもそれは記憶として
ではなく、直感やパターン認識にやってではないかと思う。
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