最近のみどり先生はわりかし喋るのだが、伝わらなければすぐにやめて
しまう。考えてみれば以前から互いに繰り返して喋るのが嫌いで、一度
喋って伝わらなければ、ま、いいやという感じでそのままにしてしまう傾向
があった。もしかすれば私の方が多かったかもしれない。どのみち話なん
て一度で伝わらなければ繰り返しても同じだという考え方があるようだ。
多くの場合は言葉が聞こえないというよりも、話にピンと来るものがない
からだと思う。そのためか、私とみどり先生の間ではほとんど議論をする
ということがなかった。結果自分のいいたいことをいいっ放しか、すくに
反応をするような共感とともに会話がはずむかどちらかだったように思う。お
互いにそういうあり方が好きだったし、人と人の関係にそれ以上のものを
望まない傾向もあった。通じないことを無理に一致しようとすればどこか
で歪みが生じてお互いの関係はいびつなものになる。でもいいっ放しで
喋っておけばそれは相手なりに理解しているし、それを議論して大きく変
わるものではない。逆に聞きっ放しにしておくと、長い時間の後にわかって
くることもある。それが日常化していくと、いわなくてもわかって来ることも
多い。みどり先生と私はそのようにして理解を深めてきたように思う。従って
おそらく彼女がこのまま十分喋れなくても私は彼女の考えていることはわか
るだろう。今日もかなり熱心に喋っていたが、言葉として聞き取れなかった。
そして何を求めていたのかもわからなかった。でもそれを覚えておくと、おそ
らくいつか何をいいたがったのかわかるだろう。彼女が喋らないときからその
ようにして理解してきたし、喋るようになってもそれは変わらない。
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