行政と司法の違いの最も大きなものは目的や内容に沿った考え方をするか、
一般的な事例に基づくマニュアルにどんな事例でも当てはめていくかという
違いだろう。行政府ならまず書類に欠落しているものがあるかどうかを調べ、
次に書類の作成方法に問題がないかどうか調べ、というようにまず内部の
規格にどれだけ当てはまっているかを考える。司法では書類に欠落があって
もそれがいかなる理由での欠落かを考え、全体の文書の中からその欠落を
補う。書類から欠落に故意性がなければそれでよし。後に担当していただい
ている弁護士さんから聞いたところでは、そうした書類以上に申請者の人間
をみて判断している面もあるという。そうした総合判断から、まず山野みどりに
後見人が必要という判断をして、後見人として山野浩一が適切と判断すると、
あとは一刻も早く事務処理ができるよう考えていく。行政府ではそういう考え
方ができないし、特に人を見るようなことはしてならないものという考え方が
強い。みどり先生の住所変更を巡ってはさほど重要でないカード会社とか、
NTTドコモなどさまざまな民間会社とも多くの折衝が必要だったが、本人の
委任状がなければ住所変更ができないというところがほとんどだった。で、
まあ、そういう御趣味なら空き家に郵便物をお送り下さいといって電話を切る
ことになる。ただ、三鷹市役所が違っていた。彼女の本籍(私の家)とか、過
去の婚姻状態とか、さまざまなことを調べてその場で住民票を移してくれた。
これは弁護士先生も驚いていたが、行政機関でも個々の担当者にそれぞれ
の責任や権限を与えて、役人としての正しい能力を発揮させるシステムがあ
れば、それが可能だということだと思う。住民票は黄門様の御印籠位の力が
あり、空き家に郵送してもらっても困らないような相手でないところには正しく
変更ができるようになった。重要なところではさまざまに幸運に恵まれてきた
ものとも思う。これで後見人となればみどり先生の後始末の事務処理はほぼ
完了できるだろう。
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