日常的なことに関する応答はほとんど問題なく、手を上げてみてというと
手を上げるし、歯を磨くというと口を開く。便意などもまもなく伝えそうだし、
帰りに手を振ると手を振って応じる。比較的近いことはよく覚えていて、
それだけにクリニックのスタッフなどには応答も積極的だ。スロットマシー
ンを覚えているのも、オーストラリアへ行く直前だったからだろう。でも、
少し前に会った人などはほとんど覚えていない。今の彼女の世界はもや
もやとした雲の中にポツリ、ボツリとさまざまな事柄や人や風景が点在
しているような感じではないかと思う。抽象的なことはわからないことが
多く、それらが結びついて意味を形成することとか、システム的に関連
するようなことを認識するのは難しいように思う。言葉を喋るようになれ
ばそうした関連が生じていくのではないかと思う。言葉がわかり、発声も
できるのに、あまり喋らないのもそのせいがあるだろう。永世病院の主
治医は長く呼吸管を入れていたので声帯が圧迫されていたのだろうと
おっしゃるが、なるほどそれも大きな要素なのだろう。以前のほうが反応
が良かったように思うのは、回復途上では直感的に理解していたことが、
今は筋道立てて考えるようになり、それが気持ちの落ち込みとともに空
虚な意識を形成しているのではないかと思う。
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