みどり先生が私の考えを理解し、過去とは全く違った生き方の中に喜びや
楽しみを見出せるかもしれないと思ったとしても、私がさまざまな場で彼女
との楽しい日々を思い出してしまうように、過去の、それもやり残したことや
期待を抱き続けてきたことに対して決別できるというものでもない。私はも
ともと自分の小説を書き終えて、その後の人生を別のものと考えてきたよ
うな面があり、彼女を介護しながら生きることに新たな楽しみを見出せるだ
ろうが、みどり先生は医師としてこれから本格的に取り組もうとすることが
多かった。そしてそんなことを考えると、これからの彼女に本当の喜びや楽
しみがあるものだろうかと絶望的な気持ちに陥ることも少なくない。一度は
熱心に言葉を喋らせようとし、それが通じて喋ることもできたけれど、今の
私は彼女が首を振ると、ああ、確かに言葉を喋ったってわずらわしいこと
ばかりだよね、と変に納得してしまう。これは私が彼女の回復へ向かって
欲しいと願うモチヴェーションの問題でもあるだろう。リハビリ病院に委ねる
気持ちが強くなっていることは否定できない。
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