みどり先生は東大麻酔科で若月先生、湯田先生にペインクリニックを
習い、彼女の唯一の学会での発表もこの時代のペインクリニックに関
するものだったが、早い時期に医局を出て帝京大学に移った。彼女が
尊敬する先輩の福家先生を頼ってのもので、、現在も帝京大学教授
として活躍する福家先生の医療への取り組みは部外者の私が見ても
素晴らしいものだった。ほとんど仮眠を取る時間以外はICUに入った
ままで、どんな患者にもベストの治療を考える。しかも時間を取っては
国境を越えた医師団として世界各地に出かけていき、ボランティア活動
を続けていた。趣味の豊かな人でもあり、ジェフ市原の大ファンで、世界
各地でそれぞれの国の料理を覚えてきて、本格的なタイ料理のパーテイ
などを開いた。みどり先生も当時は目黒の自宅から市原までスカイライン
を飛ばし、何日間もICUに入ったきりという生活を続けていた。仮眠中に
救急車のサイレンを聞くと、ああ、もうすぐポケベルが鳴るなと思いなが
ら起き上がる準備にかかる。この頃の習慣で後になっても救急車のサ
イレンを聞くと目が覚めてしまうといっていた。ICUの経験はペインクリ
ニックに専念するようになってからも、全ての怪我や病気に対して理解
を持つようになり、それで単にペインクリニックの名人という以上の医師
として幅広い対応ができるようになった。でもね、肺塞栓症でICUに運び
込まれた患者はかなりいただろうと思うのに、どうして自分のことは気付
かなかったのだろう。彼女は私に対して「福家先生と傾向が似ているんだ
よね」という。福家先生は「こんなじゃじゃ馬を嫁さんにする人もいるんだ
な」と私にいった。
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