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2007年 10月 14日
みどり先生が最も好きだったのは競走馬のオーナーで、私との会話のかなり
のパーセンテージがフィレンツェとか、マイネルキッズなどへの期待だった。 それだけに全てを放棄するのはとても辛く、社台の事務所の人たちもそれを 知っているだけに「本当にいいんですか?」と心配してくださる。でも、実際の ところ、彼女とクリニックの支出で2番目に高額なのが競走馬だった。今年の 購買馬をキャンセルしていただき、地方競馬での共同馬主を吉田照歳さんに 買っていただき、他は放棄という処置をしてもらった。マイネルの方は額が わずかなので、そのまま残しておくことにした。みどり先生は回復に向かって いるが、経済活動ができるとしてもかなり先になる。それまでは仕方がない と思う。車も大好きだったのでニッサンプリンスの担当の人が「本当にいいん ですか」と心配してくださる。でもこちらは運転できるようになる可能性がかな り低く、運転できるようになったとしても小型車を新しく購入する方が良いと 思う。茶道は私と知り合う前からの趣味で、多くの楽しみを私と共通するもの に変えていったみどり先生もお茶だけはずっと熱心に続けてきた。多忙になっ ても時間をつくってお稽古をし、茶会なども早くから予定をとって参加していた。 そんなお茶の先生から電話をいただき、彼女が買った高価なお道具一式があ り、たぶんまだお使いではないと思うので、そのままお戻しさせていただきます。 とおっしゃる。なるほど家には得体の知れない大きな梱包の一式があった。 さすがに茶道の先生はこうしたことにも大変な気配りをしていただいているもの と驚かされた。ありがとうございます。これもみどり先生がどうしても欲しかったも のだろうし、先生もそのようにお考えでどうしたものかとかなりお悩みになったと おっしゃる。お茶はいずれ彼女にも可能となるかもしれない。でもさしあたりは 彼女の新しい生き方に向けて当座の処置からはじめなければならない。 病院に行くと、彼女の先輩の偉い麻酔科医さんがさて下さっていた。「ペイン クリニックの名人なのに、みどりちゃんが抜けるとだれも本当にペインができる 人がいなくなってしまうわよ」と、励ましてくださる。私の知らない人ではあった が、みどり先生のことをとても愛してくださっていた。さすがにお医者さんだけ あって、酸素供給を調節したり、痰を吸引したり、さまざまな治療も勝手にやって いってくださった。医師でも男性の医師はそんなことまでしないけれど、女性の 医師はどんな偉い人でもいろんなことを考えてくださる。私にも「いいご主人だっ たので安心しました」だってさ。夜には芦谷有香ちゃんと、プロデューサーの松 浦さんが見舞いに来てくれた。2人は私の見舞いという感じではあつたが、有香 ちゃんとはみどり先生も仲良しだった。みどり先生の状態は昨日ほどは元気が なかったが、決して悪くない状態が続いている。 有香ちゃんトと松浦さんは私が元気溌剌なのに驚いていた。確かに私も最初の 一週間ほどは泣いてばかりで、食べることも眠ることもできなかったが、今はな によりもみどり先生のために為さなければならないことが多すぎる。普段よりずっ と気力は充実していると思う。 記事の下に広告が表示される場合があります。この広告はexciteの広告枠で、当ブログとは無関係です。
by yamanokoichi
| 2007-10-14 08:30
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