もし立場が逆だったらと考える。半生かかって築いてきたクリニックを失い。
医師としての社会的立場もどうなるかわからない。大好きだった車も失い、
最も執着してきた競走馬も失い、退院したら自分の家もないという状況に
私なら耐えられるだろうか。いかに私たちが生きていてほしいと思っても
それはあくまでも他人の希望であってみどり先生を辛くさせるだけでもある。
経済的な問題はあくまでも残るが彼女のマンションと車を引き払うのは少し
遅らせたいとも思う。クリニック・ヴェルデだけは1年間休ませても巨額の負
債となるので仕方ないし、競走馬もやはりかなり額がかさむので仕方がない。
もし可能ならマンションと車は残したいとも思う。せめてクリニックの閉鎖や
入院費の負担が判明してからにしよう。
医師としては人を生かすことを基本にものごとを考えるだろう。これは生きる
か死ぬかを悩みながら生きることの不可能性を追求してきた作家としての私
と大きく違うところだ。彼女は自ら死を求めることはないだろう。それが唯一の
希望で、みどり先生は意識を甦らせていくとともに大きな苦悩と戦い続けなけ
ればならない。それは肉体的な病気以上に大きな課題となる。
そう考えてまた眠れない一夜を過ごしてしまった。
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