朝はいつものようにみどり先生の仕事関係に電話をかけて過ごしたが、
大きな借金のほとんどはすでに返済しているみとがわかった。ここでも
みどり先生に大感謝。昼からは予想原稿を書き、雑用を片付けてから
病院へ。いつもみどり先生が抱いて寝ていたぬいぐるみを持っていった。
喋っているように口を動かし、こちらの呼びかけにも時々反応してくれる。
とても良くなってきてはっきり快方に向かっているといえる。今日はリハビ
リの初日で、まず病気の発端となった肺の鍛錬から始まった。4人の医師
と看護師さんが強く呼吸をさせて肺の働きを高めていく。自分で痰を出せ
るようにならなければならない。少し苦しそうだったが、かなり成功したよ
うだ。「生きようという意志が強いようですね」と看護師さんが言ってくだ
さった。
毎日多くの人々からお見舞いの電話などをいただくが、話す言葉に困る
という感じの人が多い。とても気を使っていただいているのはよくわかるし
世間的には確かに不幸なことかもしれないが、こうした変化は常に人を
待ち受けているものだと思う。あまり気遣いが過ぎると、健常者の優位を
強調しているように思えなくもない。それは病人や障害者に対する差別に
もなりかねないと思う。弱者をいたわるのは当然としても、健常者を病人や
障害者より優位なものという考え方を感じさせられることが時々あるのは
残念に思う。およそ世間の常識がそうなっていて、まだまだ根強い差別
意識が習慣の中に眠っているようにも思う。私とみどり先生はこの新しい
境遇を幸せなものとして受け止めることができると思う。とはいえ、おめで
とうというのはいい過ぎだし、まだそういう大胆な人は出ていない。
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