みどり先生の部屋から探し出した経理書類をキャスターケースに詰め込んで
ラッシュの国電でクリニックまで行き、みどり先生はいつもこんなに大変な通勤
をしていたんだと実感する。クリニックで前花さんと打ち合わせてクリニックの会
計事務所へ。やはりテナントの解約などは弁護士でなければ無理ということで、
永沢先生に連絡を取り、ようやく片付けの第一歩が始まった。まだまだ前途多
難だが、会計事務所で判明したのはクリニックにかなりの額の借入金があったと
いうこと。薬とか医療器材リースてか、さまざまな費用も今月と来月くらいは必要
だし、人件費も含めると軽く2000万以上になる。このうちクリニックの収入でカ
ヴァーできるのは2,3百万だろうし、みどり先生の個人蓄財はせいぜい100万ぐ
らいだろう。少なくとも最初はかなりの借金をしなければならないと思う。借入金
は順調に医院が経営できていれば数年で返済できるもので、決して無理な経営
というわけではなく、みどり先生はそれを返し終えて本当に利益を得る時期に入
る予定だった。いずれにしろみどり先生はよく頑張っていたものだと思う。
大変ではあるが、私も頑張ってそれを返済しよう。最初に借金だけができれば
何とかなる額ではある。
その後、彼女は私を受取人としてかなりの保険をかけていることがわかった。それ
でぐんと負債は軽くなった。みどり先生はきちっと計画してくれていたのだ。本当に
ありがとう。借金を背負って働く時間を彼女の介護に費やすことができる。
そうした仕事が終わってからみどり先生に会いに行った。目を動かし、何か伝えよ
うとしているように思う。思わず「ミースケ、ミースケ」と呼びかけた。2人の時には
いつもミースケ、コースケと呼び合っていた。私は他人に彼女のことを話すときに
は「みどり先生」と呼び、彼女は私の話をするときに「山野はねえ」という。外向き
と内向きで大きく違っている。偉い先生とガキンチョの落差を二人で楽しんでいた。
ときどき私たちが手を繋いで歩いているのを人に見られ「この二人はいい年し
て手を繋いで歩いてんだよ」と冷やかされることもあった。病院で彼女と一緒の
ときもずっと手を握っている。彼女の夢に私が戻っているはずだと思う。
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