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2007年 09月 22日
生きるためにみどり先生の仕事を継続させておくための作業と、死を前提と
して彼女の身辺整理を始めるのとでは全く取り組みが違ってくる。ともかく なくなっていた銀行カードのロックとか、月末の支払いなどについて主要な ところは連絡がとれて、何とか順調にこなせそうだが、難しい仕事である以 上になんとも悲しい仕事となった。クリニックヴェルデはこの日を持って閉鎖 させていただきます。みなさまご利用ありがとうございました。私の知る限り みどり先生以上に確かなペインクリニックの技術を持ったドクターはいなかった し、患者さんたちの多くが彼女を頼っていた。みんな彼女が死ぬとどうすれば 良いのかと途方にくれているが、彼女自身も腰が悪く、ペインクリニックの必要 があったにもかかわらず、かかれるドクターがいなくて困っていたほどで、彼女が 教えながら自分の治療をしてもらっていた堀部先生もつい1年ほど前に急死し てしまっていた。彼女がようやく新しいお弟子さんを見つけてクリニックで仕事 を手伝ってもらう予定だったのが、それも実現できなくなってしまった。患者の 方々には申し訳ないととともに、日本のペインクリニック医療にとって大きな損 失になったと思う。 みどり先生は本当に競馬が好きだった。私自身が東京や大井に頻繁に通うよ うになったのもみどり先生のためだった。私が社台レースホースなどの競走馬 ファンドを持つようになったのも、彼女が熱心なクラブ馬主だったからだ。私が 最初に持ったダンスインザダーク以降、ステイゴールド、ゴールドアリュール、 フラムドパシオン、レクレドール、マズルブラストといった名馬を持ったのに、彼 女には生涯そういう馬が出ず、「いつか私もクオカードを上げるからね」というの が彼女の口癖となってしまっていた。オーストラリアで結婚式をした時に買った プラネットグリーンはその名のとおり彼女のために持った馬で、私たちの愛の 結晶として大活躍してくれた。私と彼女がどうして別居したままで、後に籍を抜い てしまったかと多くの人にいわれるが、本当の愛は互いに自由でありながら それぞれの意思で結ばれるべきものと思う。それができたのは彼女の素晴らし い理性だったし、彼女の確かな私への愛だったと思う。二人でいた時間はいつ も楽しく、二人でいろんな新しい楽しみを見つけていくのがとても充実した日々 だった。 昨日は彼女の大学時代からの親友の山川たつ子さんや彼女のいとこたちが 見舞いに来てくれた。病院から戻ってようやく眠れると睡眠薬を飲んでベッド に入ったが、4時間ぐらいで目覚めてしまった。今日はオーストラリア旅行の4日 目で、私たちの厩舎へドライヴする予定の日だった。オーストラリアへ行ってから こんなことになっていたら当分日本に戻れなかっただろうし、クリニックのことな どもどうにもならなかったかもしれない。彼女は一人だけでオーストラリアへ旅 立って私はこちらで残務整理に追われているような感じでもある。ひと段落した ら、私はオーストラリアへ彼女を探しに行くかもしれない。 記事の下に広告が表示される場合があります。この広告はexciteの広告枠で、当ブログとは無関係です。
by yamanokoichi
| 2007-09-22 01:24
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