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2007年 09月 21日
生きるとなるとなかなか大変で、朝7時に彼女のマンションへ行って新聞
などを取り込み、井の頭弁財天にお参りし、戻ってから彼女のマンションな どの支払いについてあちこち問い合わせ、個人の事務処理の後はクリニッ クヴェルデに行って、書類をあさりながら支払いなどを調べるが、わからな いところが多く、あちこちへ電話で問い合わせる。その間に元グリーンチャ ンネル理事長の和泉さんらが来院し、本好先生など多くの人から電話を受 ける。4時頃にようやく武蔵野赤十字病院へ着くとみどり先生は安らかに 眠っていた。すでに自分で呼吸をし、麻酔もなくなっており、そろそろ目 覚めるときというのでしばらく付き添った。入院後に彼女と二人きりは初 めてだったので、手を握ってずっとみつめていた。とても疲れていたが彼女 の寝顔にはとても癒される。7時頃に彼女のマンションへ行って、新聞と手 紙を取り込み、ようやく銀行カードなどを見つけたが、大きな口座のものが なく、彼女が倒れたときにハンドバックが盗まれたか紛失したようだ。ようや く家に帰ると、朝から何も食べていないことに気付いて、巻き寿司を食べた。 彼女が何も食べられないといっていた日に、私が巻き寿司を届けると美味しい と食べてくれたので、私も同じものにした。あちこちに電話をしたり受けたり していると、10時頃に病院から電話がかかり、覚醒が遅いのでCTスキャ ナーをかけたところ、心肺停止の時に脳に酸素がいかなかったため、小脳 がはれ上がり、大脳に水がたまって、脳幹が圧迫されており、このままでは 明日まで持たないといわれた。急いで駆けつけて脳水を抜き取る延命手術 をしてもらったが、それでもうまくいってベジ状態。奇跡で半身不随だという。 手術に立ち合っていても、もう祈ることもなくただただ泣いていました。4時 頃に手術が終わって、彼女の手を握って少しいましたが、さほどとは全く違って とてもいたたまれない気持ちでした。朝に家に帰って、7時に彼女のマンション て新聞を取り込み、新聞の配達停止をお願いし、またあちこちに電話で報告 をして、これから銀行とか、自動車屋さんとか、いろいろまだ連絡し、東京中 日スポーツの原稿を書いてから病院へ戻る予定です。 彼女がオーストラリア旅行の楽しみの中で倒れて、そのまま意識が戻らなかっ たのは良かったとも思う。半年ぐらい前から私とみどり先生は今まで以上 に愛し合うようになっており、彼女は私を全面的に信頼するようになっていた。 私たちが長くないと感じていた面があり、最初はみどり先生が私の命が 長くないとみていたようで、今回のオーストラリアは最後になるかもしれないか ら何としても行こうと話し合い、お互いに何かあった時には貴重品の置き場な ども知らせていました。たぶん彼女は死を予感しており、オーストラリアから 戻ってからという予定だったのだと思います。 あと何日生きてくれるか、意識が戻らなくても彼女の寝顔を見ていたい。とても とても愛しています。 記事の下に広告が表示される場合があります。この広告はexciteの広告枠で、当ブログとは無関係です。
by yamanokoichi
| 2007-09-21 09:18
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