単に私がケルトソングが好きというだけではないように思う。アメリカでの大ヒット
の理由は彼らのカントリーミュージックの祖先がケルティックソングだからだろうと
は思う。その点では女子12楽坊が日本音楽の祖先であるのと似た面があるとい
えるのだろうが、ケルティックウーマンの音楽ってビートルズとか、ピアソラのタンゴ
のように人の根源的なものに訴えかけるものがあって、ダウンズのオリジナルから
アイルランド民謡、バッハ、ヘンデルまで全てがケルティックウーマンの音楽として
大きな世界を持っている。日本でさほどヒットしない理由はあまりにも美しい音楽で
ありすぎる点で、12楽坊ならその根源にある民族性から泥臭いものまで引き出して
しまうだろうが、日本人にはそのルーツがないということだろう。アイリツシュはゲール
語で、バッハやヘンデルはラテン語で、スカボロフェアーとなるとパセリ、セージ、ロー
ズメアリー、アンドタイムとアメリカ語で歌うのもそれぞれのルーツを歌垣としてとら
えているからではないかと思う。歌垣の意味を知ってつくづく思うのは世界に文字っ
て僅かしかないもので、スワヒリ語とか、アボリジニ語とか、ゲルマン語とか、マヤ語
とか、文字を持たなかった文明の多さには驚く以外にない。文字がなく歌垣が最大の
コミュニケーションという世界のSFを書きたくなった。ニュールンベルグの名歌手のよう
に秩序だったものではなく、本当のバベルのカオスの中で多くの誤解と強引な論理が
錯綜するような世界で、考えただけでも大変な作品と思う。果たしてモチベーションが
続くかな?
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