岩手競馬は日本競馬史上最大の規模の主催者の廃止となる。一時期は
JRA、大井、兵庫についで4番目の売上高を誇っていた。競馬廃止の事件
性においては大阪中央競馬(長居)以来のものともいえよう。
水沢競馬では戦中には芝競馬(草地)が行われていた。雑草による本当の
草競馬で゜あったが、当時は中央競馬の芝も似たようなものだった。私が始
めて水沢に行ったときもまだ上山よりも貧弱な競馬場で、コース内は畑になっ
ていた。スタンドは木造の壁が破れ、多くの落書きが見られた。盛岡競馬場
の方は市内にある細長い競馬場で、向う上面は上り下りのかなり急なバン
ケットになっていた。そこから徐々に大競馬場に生まれ変わっていったが、
繁栄の最も大きな原動力となったのはキー局によるTV中継と、次々建設され
ていった場外馬券売り場だろう。当時はむしろ水沢中心で、桐花賞など、主要
レースの多くが水沢で行われていた。何度もTV中継のゲストとして岩手競馬に
行ったが、水沢のほうが多く、桐花賞の時は非常に寒かった。最盛期には岩手
競馬の今後を展望する委員会の委員も努め、盛岡での会合ではオーロパークの
新築状態を見ていた。開場式の華やかさも忘れられないもので、場内の彫刻を
世界から募集して多くの作品が場内に飾られた。個人的にはゴールドアリュール
のダービーグランプリ圧勝で大喜びしながら馬場に出て行ったのもつい先日の
ことのように思える。これまでの競馬場廃止はあくまでも地方のものだったが、
岩手競馬の廃止によって日本の主要競馬場の1つが廃止されることになる。
記事の下に広告が表示される場合があります。この広告はexciteの広告枠で、当ブログとは無関係です。