レバノンが恐ろしい状況になっていたので、足立夫人オマイヤの家族などのことが
心配だったが、何とか無事避難して停戦を迎えることができたという。前回会った
時まで赤ちゃんだったヤーラも、もう歩くようになっていて、長く会っていなかったも
のと思った。それだけ長く足立は脚本を書き直したりしていたことになり、今回の
脚本会議でもさまざまな問題点がでてきたが、足立はそうした話からむしろ目処が
たったというので、大きく進展したといえよう。帰国第一作の「幽閉者」も一般公開が
決まったようで、傍目にはさまざまに危ない橋を渡りながら多くのことが結果オーライ
になるのは足立の才能と思う。すでに多くのマスメディアで「幽閉者」が扱われ、むし
ろ日本赤軍前よりもずっと足立の著名度も、映画監督としての期待も高くなっている
のが、不思議といえば不思議だが、これも帰国のタイミング次第でまるで違っていた
のではないかと思う。そんな足立作品の脚本を書くようになった私もまたとてもラッキー
で、お互い持つべきものは友と思っている。私がオーストラリアから帰るまでに足立の
第3稿ができて、帰ってから私が最終的に手を入れて脱稿の予定となる。競馬の
シーンも登場させますよ。
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