
日本人の小説に対する勘違いは、人生とか、人間関係とか、社会への不満とか、恋愛とか、そういうものを通じて共感して悲しんだり、楽しんだりするのが文学と思っていることだろう。世界中どこでもそういう小説は書かれているが、要するに通俗小説であって文学として評価されるわけではない。文学は何かを追及したり、発見したり、触発したり、疑問を見出したりというような、尖鋭性が認められる場合にそれに触発されてさまざまな考え方が発展を可能とするもので、、これは電子レンジやエアコンが科学でなく、ただのテクノロジーなのと同じだろう。
宮内悠介さんの「エクソダス症候群」はそういう文学の意味を改めて知らせてくれる小説で、極めて画期的な作品だと思う。精神医療に関するさくざまな理念が次々と断片的に出現し、それらは矛盾したり、反発したりしながらやはり断片的な物語上に現出する。精神医療そのものは社会の在り方や、思想による制約を受けていて、実際にこのような展開として把握することは不可能だろうが、小説にはそれができる。社会理念としての精神病、脳医学としての精神病、患者の不安としての精神病、医療機関のシステムとしての精神病、作者はそれぞれのテーマを疑問として提示しながら次々と新たな精神医療の考え方を出してくる。フィクションと実際の医療の混ざり具合や自明のことと不可解の混ざり具合も見事で、これはレムやバラードやディックが見出した科学小説の手法でもある。さまざまに知性を喚起する作品といえよう。
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