白井新平さんの子息で、白井透さんの弟で、白井岳さんの父で
白井牧場のオーナーで、日本競走馬育成協会の実質的なトップ
で、日本馬術連盟の役員で、日高ケンタッキーファームの創設
者で、その他多くの業績を残してきた白井民平さんが亡くなった。
早稲田大学馬術部主将として活躍の後に一時期は父のランチョト
マコマイを運営したが新平さんと対立して自分で白井牧場を開き、
馬術家としての技能を生かした育成で成功し、育成牧場のパイオ
ニアとなった。隣接する乗馬観光牧場としての日高ケンタッキー
ファームを開設し、こちらも大成功したが、フランスに開いた
同様の観光牧場(兼生産牧場)は失敗し、やがて日高ケンタッキー
ファームも売りに出すことになった。黒沢明の「影武者」の撮影
で馬を扱う部門の総指揮をとったり、井上喜久子さんをソウル
オリンピックに送る運動を展開したり、馬文化をめぐるさまざまな
プロジェクトには驚異的なエネルギーを注ぎ込んだ。岳さんの
シトニーオリンピックまではほとんどつきっきりでコーチを続け、
最近はというと、ガーデニングに凝ってあちこちへ指導に出かけ
ていたという。忙しく、うるさい人でもあったが、彼を慕う人々も
多く、育成分野、馬術界でのカリスマ的存在だった。
還暦を迎える直前の死ではあったが、やるだけのことはやったと
という充実した人生だったのではないかと思う。
ただ、残された岳さん、市川場長などは大変だろうとも思う。
冥福を祈ります。合掌
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