私は第3世代以降のSF作品を全く読んでいなかった。最近作を読むように
なったのは大森望さんに「NOVA2」というオリジナルアンソロジーをいた
だきそれが非常に面白んったからで、確かに今のSFは以前とは比較に
ならないほど優れたものとなっている。その後は主に岡和田晃さんの指
導で読んでいるが、岡和田さんに勧められた。正確には岡和田さんが作
者の樺山三英さんに勧めて私に送らせていただいたので読んだ。つまり岡
和田さんは積極的に読んでご覧といったわけではないというわけなのだ
が、かなり本気で読んでしまった。こんな作品が受け入れられる世の中に
なったのかと、全く関心のないSF大賞の投票にも参加したところ、候補
作には残った。審査員の評価は惨憺たるものだが、投票で候補に残ると
いうことはそれだけ評価している人が多いということだろう。
選評を読むと、沖方丁さんが[主体が読者である「きみ」なのか、作者な
のか、登場人物なのかが曖昧になる点が、読解を困難にしているように
思われます]と述べている。おそらくその通りだと思うし、それがコンプレッ
クス系とセカイ系のギャッフなのだろう。しかし、キミ、あなた、という言葉
がそのように限定されるのは日本語のような特殊な言葉だけで、簡単な
話、英語のyouは単数のキミであると同時にある集合のあなた方であり、
社会全般のみんなという意味でもある。70年代生まれ以降のセカイ系
的考え方のできる人にはそれが当たり前となってきているが、自己中心
的な思考によるコンプレックスが社会そのものとなるような人々には本
質的にそういうものと切り離された考え方は理解できない。そして夏目漱
石とか、川端康成というようなコンプレックスだけの小説が文学としてまか
りとおっているだろう。
でもふと気づいたのだが、ノーベル賞って川端、大江だけでなく、ロマン・
ロランのようなコンプレックス小説が多く受賞していて、全く日本的病気
ばかりともいえない面もあるようですね。
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