結局のところ一部の知的エリートだけのものとなりつつあるように
思えるのだが、それで商業的にも成り立っているのだからPCの普
及は恐ろしく人々の知的レベルを向上させたものと思う。かつては
数式が小説に登場する言語の一つとなるとは考えられなかったし、
人体の中で発生している化学反応が人の情感を形成するとは考えら
れなかった。しかしSFにおける抒情とはまさにそうした化学反応
であり、そうした基礎がなければ情念を描けない。一面で当たり前
のことではあるが、今も純文学ではそうした考え方が排除されてい
て、円城が芥川賞を受賞したのは一部にそれでは純文学という小説
が俳句のように小さなものとなってしまうと考えられたからだろう。
実際に今の純文学はそのようになっていて、SFが知的エリートだ
けのものとすれば、純文学は60歳以上のコンピュータを扱えず、
近代文明の知識が欠如して、それでいて小説が好きという極めて特
殊な人のためのものでしかないようだ。「SFが読みたい」という
雑誌型の書籍で円城が純文学では携帯電話がボーダーラインという
ようなことを述べているが、そういう人の数はSF読者としての知
的エリートよりさらに少ないだろうし、今後はさらに減っていくの
だろう。で、SF読者のどれだけのパーセンテージがそのような知
的エリートなのかというと、少なくとも私の作品の読後感を書いて
いる読者では8割ぐらいで、相当なパーセンテージとなる。それで
も、今もスターウォーズがSはという人は私の小説など読まないだ
ろうからやはり一部でしかないという面も否定できない。
記事の下に広告が表示される場合があります。この広告はexciteの広告枠で、当ブログとは無関係です。