なんとまあ多くのネットレヴューが書かれているのでしょう。ついに読み切れ
ないほどになってしまった。驚きの2はほとんどの読者が「殺人者の空」とか
「内宇宙の銀河」のような難解な作品をそれぞれに読みこなしていたことで、
これは書いた当時にはなかったものだ。ネットにレヴューを書くような人はそ
れだけの読書力のある人たちともいえるのだろうが、ある人が書いていたよう
に時代が山野浩一の小説に追いついてくれたという面もあるのだろう。驚きの
3はこんな普通の文章のSFが読めるなんてという記述があったこと。確かに
最近のSFの多くは独特の文体や記述方法で容易に小説世界に入り込めな
いものがほとんどだ。そのレヴューでは「昔は星新一のように普通の文章で
書かれていたものでした」というが、星新一のデビュー時代もあまりにも普通
の小説の文体とはかけ離れているといわれたものだった。光瀬龍の文章など
もそれだけで読まなくなる人が多かったほどで、その後のSFはさらに特殊文
学化してきたのだとも思う。私自身も野阿梓や新井素子の作品に初めて接し
た時には当惑したものだった。いずれにしろ今では私の文章は非常に読みや
すく観念が伝わりやすいものだと多くの読者が書いている。これは全く予期
しなかったことで嬉しい驚きだった。昔の私はいまの読者のために小説を書い
ていたのですね。ネットのレヴューはいろんなことを教えてもくれる。「開放時
間」ってベイリーの作品のアイデアを先取りしていたものだそうで、そういえば
バリントン・ベイリーって自由なタイムトラベルをしているなとか、「内宇宙の銀
河」が変身ものに科学的根拠を与えたものだとか、なるほどねえと感心する
ほかはない。むろん書いている側にはそういう分析はなく、そこが作者と評論
の作品への接点の違いともなるのだろう。
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