親しかった人が次々と旅立っていく。柴野拓美さんは「宇宙塵」を発行して日本
SF界を育てた人。毎月柴野さんの家に第一世代から第二世代のSF作家たちが
集まって和やかにお話をしていた。私は「X電車で行こう」を書いてからSFという
ものを知ったので、多くのことをその会合で教えてもらった。ずっと後に私がサンリオ
SF文庫の編集顧問をするようになったとき、柴野さんのためにクラークの「スリラン
カから世界を眺めれば」という評論集を用意して翻訳してもらった。柴野さんには
アーサー・C・クラークが別格的作家だった。
浅倉久志さんもクラークが理想で浅倉久志というペンネームはアーサークラークシー
に漢字を当てたものだった。でも、私とはフィリップ・K・ディックの最初の理解者として
お互いに信頼感を抱くようになった。当初はディックがアイデアストリー作家と考えら
れていて、実際にそういう作品ぱかりが翻訳されていた。今では誰もが知っている
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」も浅倉さんが訳した時にも周囲には私以外に
絶賛した人はいなかった。サンリオSF文庫ではディックの全作品の版権を取ったが、
たくさんの翻訳を抱え込んでいた浅倉さんは一冊も訳さなかったように思う。そのか
わり「NWSF」にはメリルの評論や短編を原稿料なしで訳していただいている。
柴野さんは大正の生まれだから長生きといえるだろうが、浅倉さんには早すぎた死と
なった。お二人ともバランス感覚の良い調和を好む人だった。合掌。
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