みどり先生の発病から2年目を迎えようとしている。とにかく命だけはという1週間から
自己呼吸ができるようになってともかく命をとりとめたのが1か月後。意識はしっかりし
ているが完全に記憶を喪失し、新しい記憶の能力もなかった。しかし、当時は手足も
そこそこ動くし、短い言葉も喋っていて、リハビリによって相当な回復が期待できた。
リハビリのために永生病院に転院しても、寝返りをうったり、足を持ち上げて意思表示
をしていた。しかしそこからが進展せず、病院側からもかなり悲観的なことしか聞けな
かったと、彼女の友人や先生といった医師たちの考えも同じだった。長く経口食を続け
て、喉への負担が限界に来ていたので夕食を私に任せていただき、ベッドで横になった
まま固形食を食べるという病院では考えられない方法で口径食に成功した。みどり先生
は非常に上手に食べて、たちまち栄養も足るようになり、径管が取れた。その後もトイ
レなどさまざまな要望をして、何とかポータブルトイレでの排便もできるようになった。そ
れでも普通では退院できる状態ではないのだが、私の方で普通のときの医師、看護
師なみのこともできるようになっていたので、退院を認めてもらって介護生活に入った。
食事をするためにアクティヴメモリーを大量に使うので、言葉を喋る能力や手を使う能
力は失ったが、自宅でのリラックスした生活はメモリーを増やしていっていて、また手
足も少しずつつかえるようになりつつある。彼女自身が生きるために必要なことと、そ
うでないことを区別しているようで、余計なメモリーは使わないようにしているし、必要
なことはきちっとコントロールしている。発病から2年を迎えてみどり先生は少しずつ回
復している。
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