オーストラリアはナショナリズムのない国で、ピーター・アレンとか、オリビア・
ニュートンジョンのような世界的ミュージシャンに対しても特に自国の歌手と
いう意識を持つことが少ない。競走馬についてもそうだし、多くのオリンピック
金メダリストに対しても、パトリック・ホワイトのようなノーベル賞作家に対し
ても同様で、ニュートンジョンやアレンはアメリカの歌手扱いだし、ホワイトの
作品などはほとんどイギリスで出版されているし、オリンピックの金メダリスト
たちは普通にコーチをしている。
歴史が浅いということもあるが、まだイギリスと思っている人が多いことも
事実で、いつまで経っても共和制に移行しようとせず、国民投票をすると
いつもイギリス国王をそのまま受け入れる方が勝ってしまう。確かにオースト
ラリアのイギリス文化はイギリスで実現できなかったものでもあり、特にデモク
ラシーの浸透には素晴らしいものがある。イギリス英語のよさが残っているの
もオーストラリアで、例えばちょっとした手数をかけたときにサンキューというと
イッツマイプレジャーという返答とか、待たされたときにサンクスフォーユァペー
ションスというような言葉をかけられると、やはりイギリスのジェントルマンの思想
がここでは実現していると思わせる。最も驚くのはどこへ行っても警官の姿が全く
見られないことで、オーストラリアの警官の制服を私はいまだに知らない。これ
がオーストラリア・デモクラシーの最大のものといえよう。それがイッツマイプレ
ジャーというような言葉と無関係でないこともおわかりいただけるだろう。要す
るに民意が高く、国家権力が極端に低いというわけだ。
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