最近になってほとんど書物を読まなくなった。新たな知識を吸収しようとという
気持ちがなくなったというべきかもしれない。それでなくても一般の人と比較す
れば非常に多くのことを知っているし、たいていのことについてそれなりの考え
を披露することもできる。それで無知な人に寛大になったかというと必ずしもそ
うではなく、知識や教養のギャップというものはかなり厄介だと思う。特に自明
のことについて説明しなければならなかったり、相手にとって精一杯の知識で
それが真実だと思い込んでいるようなことについて説明するのは厄介だ。
しかしまた私と同じように多くのことを理解している人とはさほど話すこともない
ので、これもまたつまらない。
ただ、物事の理解というものは必ずしも知識や思考力で決まらない。みどり先
生は非常に頭がよく、知識も教養もあるし、自分の知らないことに取り組む意欲
もある。にもかかわらず彼女は私の書くものが理解できず、難しく手入り込めな
いといっていた。それが小説だけでなく、「伝説の名馬」のような読みたくって仕
方がないものまで読むのは容易でなく、おそらく2,3頭の物語を読んだだけだ
ろう。熱烈な読者も多く、それは必ずしも高い教養をもった人だけというわけでも
ないが、その違いは何なのだろうとも思う。
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