みどり先生の世話をしているとずっとそれを最優先しての生活となる。
朝は6時に起きて8時頃まではかかりっきりになり、テレビはみどり先生
も楽しめるような番組に合わせ、食事もみどり先生の食べられるものと
なり、仕事の途中も何度も見に行って、眠っていれば一安心というとこ
ろだが、ショートステイに出て介護から解放されると、それまでの生活が
みどり先生中心だったので、いわばアイデンティティを失ってしまう。
買い物に出かけてみどり先生のものを買うとか、そういうことでのみ
充足されるという状態になる。何のことはない私はみどり先生に依存
しているのではないかと思う。しかし、みどり先生はもっと私に100%
依存していて、特に精神的な依存度が高い。で、まあ、こういうのが
愛ということになるのだろう。これは必ずしも私に限ったことではないと
思う。多くの愛はそんなもので、むしろこうなる前の状態からこの状態
に移れるという瞬間が最も主体的な愛といえるのかもしれない。ただ、
それももともと確かなアイデンティティがないから状況に引きずられて
こんな生活にはいったのかもしれないとも思う。
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